紺野ぶるま、芸風に影響を与えた丸坊主芸人たち
- サエグササエル
- 2023年6月9日
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紺野ぶるまが、2021年6月30日放送のニッポン放送『ナイツ ザ・ラジオショー』に出演。芸人になったきっかけや現在までの活動の歴史を語った。
ち〇こなぞかけ
紺野ぶるまの持ちネタと言えば『ち〇こなぞかけ』だが、発端は、女性芸人のライブに、初めて共演するなぞかけ芸人のねづっちが出演し、ねづっちと女芸人全員でなぞかけでたたかう企画を行った。そこでぶるまが謎かけを披露したところ、ねづっちから「君は天才だ!君が1人光ってる」と絶賛され、そこからなぞかけ好きのコージー富田のライブにも出演し(コージーは朝までなぞかけライブを行うほどなぞかけ好き)、そこで「ハンガーとかけて、ち〇こと解く、どちらも、“かけます”」と答えたところ、観客からスタンディングオベーションが巻き起こったという。
下ネタを言う事は当時の松竹芸能や事務所の劇場“角座”では、考えられないという雰囲気だったという。
芸人になったきっかけと強い意志
紺野ぶるまは2010年デビュー。くまだまさしのネタを見て芸人を志したというが、元々は『爆笑レッドカーペット』でくまだとハイキングウォーキング・鈴木Q太郎が組んだユニット『ブルマパーティー』が、“1枚のブルマをピカチュウにならないように履きます”という、ピロピロ笛をカチューシャのように2つ付け、その管を鼻に入れ、鼻息で笛を吹いてピロピロ笛を伸ばして動物の耳のようにならないようにしながらブルマを履くネタをやっていたのを見て、腹を抱えて笑ったのがきっかけ。
その時の紺野は体調を崩していて、また夢や希望を失っており、そのネタを見た時に自分もこんなネタをやりたいと渇望し、紺色のブルマを履いて舞台に出ようという思いから、芸名を紺野ぶるまにしたという。
最初の頃は、ブルマから食パンを出し、「ハミパンしてます」というあいさつギャグをやっていたと語った。
最初から松竹芸能に所属してやっていたが、事務所から「22歳の女性がブルマを履いて出てきたら世間の人はどう思うかっていうのを君は理解してないよ。それはおもしろいじゃなくてエロが先に来てしまうんだよ」と何度も教え諭されたが、自身の、愚の骨頂を表現したいという思いの強さからそのスタイルを押し通した。
しかし、『R-1ぐらんぷり』で3年連続1回戦で敗退し、自分を客観視しないといけないと思い直し、ブルマを捨てて、化粧をするようになり、等身大の自分で芸をやるようになったという。
その後、『R-1』や『THE W』の決勝に進出するようになった紺野。
それまでに、ち〇こなぞかけでプチブレイクし、収入は増えてはきたが、ゴールデン帯の番組に呼ばれてネタを披露しても、全カットということが度々あったという。
それが29歳の時で、今がち〇こなぞかけの天井だと気付き、芸人を辞めるかもっと売れるために努力するかの2択と考え、R-1決勝進出を目標に、1人コントに力を入れたところ、見事決勝に進出できた。
その時決勝で披露した『占い師』のネタは、自身が占い好きで、インチキ占いについ入ってしまい、お金を払って上からものを言われるストレスをぶちまけるために作ったと明かした。
“負けるが勝ち”の境地
リスナーからのメールで6月28日に公開された『女子SPA!』のインタビューで“負けるが勝ち”と語っていた境地に辿り着いた理由を訊かれ、紺野は芸人になった当初、リアクション芸やローション相撲といった体を張って笑いを取る森三中のような芸人に憧れていたが、笑いにならなかったため、「1回、そこには絶対勝てないんだ」という事に気付き、それを認めた上で、自分ができることを考えた結果、コントで言葉にこだわるようになったという。
・紺野ぶるまインタビュー
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