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  • 執筆者の写真サエグササエル

藤井フミヤと振り返る福岡の(インスタント)ラーメン史

アーティスト・藤井フミヤが、2021年7月31日放送のTBSラジオ『土曜朝6時木梨の会』にゲスト出演。福岡のラーメン事情を振り返った。



『サッポロ一番』でおなじみのサンヨー食品がスポンサーを務めるコーナーで、1962年(昭和37年)生まれの藤井フミヤは、「九州人だから、福岡人は生まれて初めて食べる醤油ラーメンと、生まれて初めて食べる味噌ラーメンがサッポロ一番」で、塩ラーメンもほぼサッポロ一番じゃないかと語った。

「とんこつラーメンしか無いのよ、当時は」と、昭和の福岡のラーメン事情を振り返った。


続けて、メインパーソナリティーの木梨憲武がいつものようにスポンサーを無視して、まるか食品(群馬県)の『ペヤング』(1975年(昭和50年)3月発売開始)の名前を出すと藤井は、

「ペヤング無かったんだよ、九州は。焼きそばはいわゆる『(日清焼きそば)U.F.O.』(1976年(昭和51年)5月21日発売)かな。たぶんそれか、袋の焼きそば」とカップ焼きそばの流通事情も回想した。

また、「九州はソース焼きそばは、ちゃんぽん麺なのよ。普通のラーメン屋とかで食べると」と、九州焼きそばの実態も明らかに。


福岡のラーメン事情



福岡でのインスタント麺事情を回想する流れになり、木梨から『うまかっちゃん』(ハウス食品)の事を振られると、福岡時代の後半で出てきたと回答。実際、1979年(昭和54年)に発売されている。


1959年(昭和34年)11月から発売されているマルタイの棒状ラーメンの元祖『即席マルタイラーメン』はあったが、インスタントラーメンに九州ラーメンは無かったと回答。

また、「ちぢれ麺というものが九州には無かった。いわゆる棒麺しか。だからちぢれ麺に憧れたのよ、なんか幼い頃」と、サッポロ一番のようなちぢれ麺への想いも語った。


一方、とんこつラーメンしか無かった福岡では、匂いがかなり濃く、フミヤ氏曰く、「100m手前からでもラーメン屋があるのがわかる」と例え、「中洲辺りは歩いてて豚骨の香りしかしない」ほどだったと語り、行ったことのある木梨も同調した。それも最近は薄くなりつつあるという。


また、ラーメンの大盛りはあったが、替え玉システムも最初は無かった。いまやニューヨーカーが「KAEDAMA!」と言うほどになっている。


上京後の東京ラーメンの衝撃



藤井フミヤが初めて東京のラーメン屋に入った時に、ラーメンに酢を入れる事に衝撃を受けたのを今でも覚えているという。


そして逆に藤井から、東京に昔から味噌ラーメンはあったかと訊かれた木梨は、東京は醤油ベースながら、味噌ラーメンもあったと回答。その後遅れて塩ラーメンも出てきたと振り返った。

サンヨー食品の福井氏によると、サッポロ一番の味噌ラーメンが発売(1968年(昭和43年)9月)されてから、全国のラーメンチェーン店でも味噌ラーメンを出すようになったという。

『サッポロ一番』は1966年(昭和41年)1月にしょうゆ味を発売。1971年(昭和46年)9月に『サッポロ一番 塩らーめん』が発売されている。



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