top of page
  • 執筆者の写真サエグササエル

謎かけ芸人ねづっち、ナイツと20年前の漫才協会を語る

謎かけ芸人ねづっちが、2021年5月31日放送のニッポン放送『ナイツ ザ・ラジオショー』にゲスト出演。漫才協会との出会いを語った。



ねづっちはナイツよりも先に漫才協会入りした協会の先輩で、東京都日野市出身。中学時代から先輩に「藤田まことに似ている」と言われ、上沼恵美子に会った時にも「アンタ、若い頃の藤田まことさんに似てるわ」と言われたという。


幼少期、実家では祖父母と暮らしており、その影響で時代劇や笑点などの演芸番組を見るようになり、言葉遊びが好きに。


28歳の時に、最初のコンビ『ケルンファロット(後に『ケルン』に改名)』を解散。落語家を目指そうか真剣に迷ったが、年齢の遅さも考え、次のコンビができるまで、ピン芸人を選択した。


2000年代初頭の漫才協会



ナイツは2002年に漫才協会入り。ねづっちは2001年頃に、Wけんじ師匠の弟子である、Wエース師匠に弟子入りし、漫才協会入り。

元々はサンミュージックに所属していたが、事務所のトップであるブッチャーブラザーズに「毎日立てる舞台は無いか」と相談したところ、漫才協会の谷エース師匠を紹介され、浅草の喫茶店ブロンディに当時のコンビ『ケルン』と『Wリンダ(当時は『楽天』)』の4人で同時に弟子入りを希望しあいさつに。

だが谷エース師匠からは、「とりあえず今日、東洋館全部観とけ。観て一番面白い師匠の所に付いた方が良いよ」と言われたが、Wエースがとびぬけて面白く、人柄も優しそうだったため、改めて弟子入りをお願いしたという。


ねづっちが、ナイツ塙が漫才協会に入ってきた時の第一声は、「なんでこんなとこ入って来ちゃったの?」。当時お客さんはだいたい3~4人で、ネタ時間は若手でも1組15分で、若手が4組続くと、1時間若手になってしまうため、怒って帰ってしまう人もいたという。


ナイツにとっては、ほとんどが浅草のみで活動する師匠や先輩ばかりで、ねづっちだけが若手のライブにも参加する先輩だったため、何かあったらねづっちに相談していたという。


現在は若手が当番制で劇場の音響や照明、楽屋などを担当するが、当時はチャンス青木師匠の弟子の漫談家の和田さんという人が1人いてマイクなどを担当し、そして毎回トップバッターで、校歌を歌っていたという。

また師匠のネタはだいたいいつも同じだったという。


おぼん師匠の言葉



最初のコンビ『ケルン』解散時、居酒屋でおぼん・こぼんのおぼん師匠からずっと説得されていた。そして解散した時には、「芸人だけは続けろ。唯一の売れる方法は辞めないことだから」と言われたという。


ブレイクのきっかけ「謎かけ」は



謎かけはケルン時代からやっていて、漫才ネタの中に上手く入れていたが、主に楽屋でやっていた。

そして2010年1月7日放送の、テレビ朝日系『アメトーーク!』の町工場芸人で登場。当時は時間に余裕があり、勤め先の町工場も都内だったため、ロケに行くことができたため、ロケで謎かけを連発し、全部使ってもらったことで、2010年には流行語大賞トップ10に「ととのいました!」がランクインした。


【追記】(2021年7月10日放送のTBSラジオ『土曜ワイド ラジオTOKYO ナイツのちゃきちゃき大放送』にゲスト出演した『アメトーーク!』のプロデューサー・加地倫三氏によると、U字工事がスケジュールNGだったため、ねづっちになり、当時はねづっちではなく、“根津さん”と呼んでいたという。)



閲覧数:11回0件のコメント

最新記事

すべて表示

トレンディエンジェル、今の芸風になったきっかけ明かす!

お笑いコンビ、トレンディエンジェルが、2022年7月26日放送のニッポン放送『トレンディエンジェル ザ・ラジオショー』で、芸風の由来について明かした。 トレンディエンジェルの斎藤司は元々、ラーメンズに憧れて芸人になり、ネタも凝ったものを目指してやっていた。...

バッファロー吾郎・竹若元博、後輩に慕われる先輩になる方法は

バッファロー吾郎の竹若元博氏が、2021年5月27日放送のニッポン放送『ナイツ ザ・ラジオショー』にゲスト出演。コンビ決死から吉本印天然素材時代、そして大喜利イベント『ダイナマイト関西』の人気の秘訣について語った。 現在、お笑いコンビ・バッファロー吾郎としてのネタ出番はほと...

留言


bottom of page