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野末陳平90歳!親友立川談志を語る!

  • 執筆者の写真: サエグササエル
    サエグササエル
  • 2022年10月14日
  • 読了時間: 5分

御年90歳。元参議院議員の野末陳平が、2022年5月30日放送のニッポン放送『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』にゲスト生出演。立川談志との関係や、若さの秘訣について語った。



野末は静岡県出身。だが父親が学校の先生だったため、転勤に伴い転校を繰り返し、その後山口県宇部市、神奈川県横浜市、そして千葉に長く住み、その後終戦を中学2年生で迎え、それをきっかけに東京に引っ越し、都立十中(西高)に編入。という記録だが、目まぐるしく、それ以前の記憶が無いという。


その後、早稲田大学第一文学部東洋哲学科を優秀な成績で卒業。専攻したのは13人しかいなかったそうで、その中でも「勉強したのは僕だけだから」、そして全体では真ん中ぐらいと謙遜。

卒業後は横浜のストリップ劇場『横浜セントラル劇場』の文芸部に所属し、20代後半から放送作家に転身。自身もテレビ・ラジオに出るようになり、野坂昭如と漫才コンビ『早稲田中退・落第』を結成して、今は無き新宿松竹文化演芸場の磯野支配人に頼んで3日出してもらったことも。その磯野氏とは、後の太田プロ創業者にして会長の磯野勉氏だった。

その演芸場の舞台を降りると掃除のおばさんから、「早稲田さん、小ゑんさんがお呼びです」と言われ、行くと若き日の立川談志(当時は柳家小ゑん)に「下手くそ!俺が教えてやる!」と言われ、交流が始まったという。


その後、文化放送から頼まれ、得意の姓名判断を活かし、御法川法男アナウンサーに『みのもんた』の芸名を名付けた。「みの」は名字から、「もんた」はダービー出走馬『モンタサン』から取った。


1971年、39歳の時に税金党を立ち上げ、参院選初当選。一緒に出馬した立川談志は50位で落ち、野末は52位だったが運良く繰り上げ当選となった。それから4期24年務め、95年に政界を引退すると、大正大学の教授に就任。2002年には勲二等旭日重光章を授章した。


気障なので、90歳や卒寿と言われたくないらしく、「ジジイ」と紹介してくれと注文が。高田が「エロジジイ」と紹介すると、「エロは好きだけど宣伝するほどじゃない」とたしなめた。


談志との関係



談志とは親友で、1日2回は必ずどちらかから電話していた。談志の落語会にはもちろん出席し、お互い時間がある時は後楽園のベンチに座り、おにぎりを食べて過ごしていた。

妻と離婚して1人暮らしだった野末のために、「談志弁当」と称して、週に1回手作りして持って来てくれて、しかも美味かったという。

また、ケチで有名な談志だが、野末には意味なく小遣い10万円をプレゼント。前の日に電話で「陳さん、小遣いもらってくれるか?」と許可を取ってからTOKYOMXでの収録に持って来て渡したそうで、当時付いていた志らくが目撃していたという。野末は1~2万円だと思っていた。

談志から「人に奢ったり無駄な事に使うなよ」と言われ、野末は「当たり前だよ」と応じ、貯金したと明かした。パーソナリティーの高田は「どっちもどっちだね」と呆れたが、それでも意気投合していたという。

野末に言わせると、談志はケチではなく、金を使うところを知らない。談志は新宿では600円のカレーで済ませ、外食で「真面目なレストランに入った事が無い」という。


そういった関係もあり、現在は志らくの弟子の志ららが付き添い役として帯同し、野末や高田に付いている。


若さの秘訣



今回、サルのぬいぐるみをポケットに入れて登場。先日開かれた卒寿の祝いに高田のグループがサルのぬいぐるみ付の襟巻をプレゼント。今は夏になったのでぬいぐるみだけ取って持って来た。

サルが大好きで、人間に近いので人間を勉強するのにより理解が深まると考え、大学卒業後に飼っていた。だが「全然深まんなかった」「そりゃ当たり前だよ」となって、それでもペットとしては最高で、サルを飼って多少理解が深まった事もあったと述べた。


他に好きなのはストリップとチアダンス。ストリップには若さを期待している。そして野球を観に行くが、野球ではなくチアダンスを観に行っているという。


若さの秘訣は「ストレスが少ない」。若い時から酒・タバコをやらなかった。タバコは苦く、酒は血糖的にダメだったという。

そして新しい事に興味を持つ好奇心だと高田は付け加えた。

実際、誤送金問題でマネーロンダリングに興味を持ち、「スマホ買ってよ」とおねだり。だが目が悪くなってスマホの文字はもう読めないと語った。


そして現在、元ニッポン放送のフリーアナ松本秀夫のYouTubeに出ているが、仕組みがよくわからないと述べた。



記憶に残る曲



曲のコーナーでは『網走番外地』をリクエスト。

野末はかつてニッポン放送で『野末陳平のオール電話リクエスト』(71.11~80.09)という番組をやっていて、この曲のリクエストもよく来たが、当時は放送禁止で掛けられなかった。しかしあまりにもリクエストが来るので、ディレクターと相談し、上層部に内緒でこっそり1コーラスだけ掛けたそうで、それ以来聴いてないという。


今もエンタメ好き



『なんでもベスト3』のコーナーでは、90歳の現在、好きなエンタメを紹介。

第3位は「テレビでスポーツ観戦」

野末のテレビ視聴はスポーツ中継とニュースが中心だそうで、80歳手前までは野球や相撲観戦にも行っていた。だが、現在では会場の階段に手すりが無いため怖くなり、行けなくなったという。

また、早稲田出身だが、明治大学の応援をしている。野末の時代は、早慶戦の人気が凄すぎてチケットがもらえなかったと振り返った。

プロ野球はどこのチームでもいいが、パ・リーグも人気が出て観るように。世代交代して若い選手は誰が誰だかわからないが、それでも楽しいと語った。

その他ラグビー、バスケ、サッカー、カーリングと多岐にわたる。


第2位は「映画館で映画鑑賞」

野末は時刻表など見ず、何を観るかも決めず、まず映画館に1人で行ってから決めるそうで、そのおかげでなんとか入り込めるのが利点。

受賞前に『ドライブ・マイ・カー』も鑑賞。観客がまだ10数人しかいなかった。しかも原作を読んでから鑑賞したので、違いを楽しめた。

『トップガン マーヴェリック』も見ようとしたが、混んでいたという。


第1位は「Netflix」

きっかけは高田から『全裸監督』を薦められ、それで初めてNetflixを知り、加入。そこから配信を知って、YouTubeとAmazonプライムも観るように。それからテレビがつまらなくなり、観るのはスポーツとニュースになったという。

韓流ドラマはレベルが高いと感じ、『全裸監督』は2回観たと感想を述べた。


昭和40年代が舞台の『浅草キッド』は、戦後の昭和20~30年代、浅草六区に通い詰めていて、深見千三郎も実際に見たことがある野末からすると、その頃の情景が無いのが物足りなかったと感想を述べた。

その他、『イカゲーム』『梨泰院クラス』はとても面白かったと語った。

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