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  • 執筆者の写真サエグササエル

間寛平、引退寸前から一転!吉本新喜劇GM就任への経緯!

間寛平が、2022年3月4日放送のニッポン放送『中川家 ザ・ラジオショー』にゲスト出演。吉本新喜劇に対する情熱を語った。



2022年2月、寛平は吉本新喜劇GM(ゼネラルマネージャー)に就任。

昨年6月6日に、東京・よみうりホールで行った『50周年+1』公演を岡本社長が観に来て「これや!」と、寛平の時代の新喜劇を今の新喜劇座員たちに教えて欲しいと感じ、去年の6月から打診があった。


寛平は当初、「無理かもわからん」と態度を示していたが、妻から「あんたは心地の良いとこにおらしてもろてる。大事にしてもらって会社にも」と、若手の人達とも番組や仕事をさせてもらえており、「あんたは本当に会社にとっては大事にしてもろてる。せやから恩返しのつもりで、あんたのできることはやってみたらどうや」と背中を押され、そこからGM就任に至るまで毎月打ち合わせを重ねていたという。

そして漫才師目当ての客がほとんどの中、新喜劇目的の客を増やすのが目標だと表明した。


見どころ『ネタバトル』



新喜劇専門の劇場『吉本新喜劇セカンドシアター』をNGKの下に作り(キャパ300)、そこでのネタバトルも計画中。

第1回目の審査員は関西の大御所・浜村淳。間がGM就任の記者会見で、明石家さんま、桂文枝、そして昔から演芸の世界を知っている浜村の名を挙げて、記者たちは唖然としたが、それが記事になって浜村の所に届き、「行ってあげる!」と受諾してくれたという。


また、寛平も毎週ネタバトルの前に村上ショージと新ネタのコントをして、年を取ってもネタをやる姿を見せて、士気を上げるつもりだと表意。村上も「やろう!」と乗ってくれたという。

新喜劇は漫才師のように出番を奪い合う熾烈なしのぎの削り合いではなく、座長にお願いして出番を入れてもらう事が当たり前になっており、若手のお笑いへの情熱を活性化させたいという。


・吉本新喜劇ネクストシアタースケジュール


ここで寛平から中川家にも審査員のオファーが。最初は断っていた剛だったが、ネタ的なやりとりを挟んだ後、熱意に押され受諾した。

寛平が、入場料2000円のため、満足なギャラが払えず、交通費のみだと告げたが、中川家は「金の無い頃からお世話になってますんで」と寛平の依頼を承諾。答えは変わらなかった。


そして、次の依頼は明石家さんまだが、寛平は後輩である明石家さんまのところには「よう行かん」と及び腰に。中川家に「お前らが言ってくれへんか?」とお願いして、笑わせた。

GMになってからずっと、「大丈夫でっか?」とさんまをはじめ、多くの人達に気遣われているという。


地獄の若手時代



寛平は24歳の時に新喜劇座長に指名され、就任。21歳の時に入って3年目で、まだ芝居も出来ないのに座長にされたことが一番つらかった。

座長の仕事は、初日の公演でウケなかったところを脚本家と直し、次の公演で言い方などの直しを座員に指示するのだが、芝居の事を何にも理解できていなかったので、何も指示できなかった。

また、周りは花紀京、岡八朗、桑原和男といった先輩しかおらず、当時の先輩はかなり怖い存在だった。

それで2年は悩み、また座長という事で、後に逃げる先輩芸人の借金の連帯保証人にもなり、借金がどんどん転がるように膨れ上がっていき、死ぬことも考えた。だが、思い留まった。

一方その頃、月亭八方も借金で首が回らず、ホテルの一室で首を括ろうとして、思い留まったという。


その後26歳の時、池乃めだかが寛平の班に入り、ウケないところを全て手直し。そして「猫VS猿のケンカ」で人気を博した。



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