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  • 執筆者の写真サエグササエル

高田文夫、ビバリー昼ズが始まったきっかけを明かす!

放送作家・高田文夫が、2021年12月17日放送のニッポン放送『春風亭一之輔あなたとハッピー!』にゲスト出演。高田とニッポン放送の繋がりの歴史を辿った。



テレビの放送作家だった高田は、昭和56年(1981年)の元旦に始まった『ビートたけしのオールナイトニッポン』(81.01.01~90.12.27)からニッポン放送に出入りするように。


ビートたけしの面白さを知って仲良くなった高田は、たけしを当時のテレビ界のスター司会者・三波伸介に紹介。三波の座付き作家だったため、たけしを「レギュラーにしていいですか?」と打診したところ、三波もたけしの浅草での活躍を知っていたため、「アイツはいいかもしれないな」と許可し、たけしがテレビに出るようになったという。


オールナイトニッポンでたけしの相手役を務めた高田は、たけしに村田英雄の裏話を語って爆笑させ、後にコーナーとなった功績も。

そして10年でたびたび出した番組本がバカ売れし、高田はその印税で最初のマンションを買ったと明かした。


その間に、放送作家・景山民夫が脚光を浴び始め、『とんでもダンディー・民夫くんと文夫くん』(84.04~86.03)がスタートし、2年間放送。そしてナイターオフシーズンを埋める夕方の若者向け番組として、『巨匠・高田文夫のラジオで行こう!』(87.10~89.03)が始まり、高田は40歳までパーソナリティーを務めた。


89年の2月頃に当時の編成局長から「若い人相手の仕事はもういいでしょう? 朝まで飲んじゃったりするから~。どうですか、ゆっくり大人相手に昼間生放送のおしゃべりは? お昼全部空けますから、高田さんのために」と誘われ、そして現在に至る『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』(89.04.10~)が4月から始まった。

元々、高田が過労で倒れたため、リハビリがてらに始まったそうで、『ビバリー…』が始まった40歳からは朝まで呑まなくなったという。


芸人に顔が広い理由



高田はフジテレビの元日特番『爆笑ヒットパレード』を30数年担当。朝から夕方までやる番組のため、年の暮れは出演芸人全員のネタ見せと打ち合わせをしていた。どんなに大物の芸人でも、ネタチェックのために必ずネタ見せをしていた。

そのため、高田は東京の演芸人とは全員顔見知り。加えて、大晦日に東京に来たやすしきよしや桂文枝(当時は三枝)とも打合せし、そのまま生放送に突入していたと語った。

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