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  • 執筆者の写真サエグササエル

天皇のディナー・1 英国王室との絆をつないだ宮中晩餐会(前編)

2020年1月12日放送のNHK総合『天皇のディナー~歴史を動かした美食~』では、天皇陛下と関係が深い食事を特集。

大正・昭和と初代宮内庁主厨長を務めた天皇の料理番こと、秋山徳蔵(1888-1974)氏が大正時代、イギリス皇太子を歓迎するために行われた宮中晩餐会で腕を振るった、最も豪華なメニューを紹介した。


最も豪華な天皇のディナー



大正11年(1922年)4月12日、大英帝国皇太子エドワード・アルバートを迎えるにあたり、日本はかつてないほどの歓迎式典を行った。


というのも大正10年(1921年)、アメリカ・ワシントンで行われた会議で、日英同盟が廃棄された。

明治35年に締結されたこの同盟により、日露戦争(1904-05)の勝利がもたらされ、日本は欧米列強の仲間入りを果たした。

その後、第一次世界大戦(1914-18)でも東アジアの勢力を拡大。日本の台頭に脅威を感じたアメリカによって同盟の廃棄を実現された。


日英関係に詳しい関東学院大学国際文化学部教授、君塚直隆氏によると、日本は皇室外交に活路を見出し、皇室と英国王室をつなぐことで結びつきを保とうとする、国の命運を握る歓迎式典だった。


その式典のハイライトが宮中晩餐会。日本は、病の大正天皇に代わり、後の昭和天皇となる皇太子裕仁親王が取り仕切った。


宮中晩餐会は、裕仁親王、エドワード皇太子、貞明皇后、高橋是清内閣総理大臣、東郷平八郎ら錚々たる約120人の出席者。


当時のメニューを秋山徳蔵氏が1人で保管しており、秋山氏の著書『宮中献立』には、宮中で出されたメニュー1233点が記され、この宮中晩餐会で出されたメニューは「質的にいってわが国宮廷料理最高の豪華なもの」(秋山徳蔵著「味」(1955))と語っている。


宮中晩餐会のメニュー



当時のメニューカードによると、日本の宮中晩餐会では、マナガツオ(魴)の酒蒸しや羊肉のステーキ、また別に夜食として、伊勢海老の冷製、牛もも肉のゼリー寄せ、雛鳥の衣掛が出されたと書かれている。


宮中晩餐会の前年の大正10年(1921年)、秋山は裕仁親王の付き添いでイギリスを親善訪問。バッキンガム宮殿のシェフに直談判し、世界屈指の厨房に潜入した。

国王ジョージ5世主催の晩餐会では、「帝国風コンソメスープ」や「ネルソン風サーモンフィレ」が出された。


「マナガツオの酒蒸し」


日本ならではの高級食材マナガツオをシャンパンで15時間漬け込み、加熱するにあたり、エシャロット、マッシュルーム、タイム(香草)と一緒にシャンパンと白ワインを注ぎ、オーブンで酒蒸し。

秋山が日本のシェフのためにまとめた『仏蘭西料理全書』(1923)には、「マナガツオは独特の臭みを持っているので、臭みを消すために充分な香味野菜をもってマリネにする」と調理法を書き残しており、そして最高級のシャンパンで酒蒸しにした。


「仔羊のロースト 香草パン粉焼き」


ローストした骨付きのラムチョップにマスタードを塗り、パセリとパン粉を振って味付けを整える。

羊肉はイギリス王室定番の料理であり、エドワード皇太子の好物だった。


「伊勢海老の冷製」


伊勢海老をトリュフと交互に重ね、野菜と一緒にゼリーと固めた。


味付けに使うワインやブランデーはヨーロッパから最高の物を取り寄せ、「料理の日英同盟」を表現したメニューだった。


実費は一人当たり30円。現在の額にすると約30万円が掛けられた。総額約3600万円分の食事代となった。


(番組ではその料理を当時のままに再現。調理は八芳園の統括料理長・西野剛氏と、料理長・柿迫太陽氏によって行われた。)


さらに、天皇家に欠かせないメニューが供されている。続きは『天皇のディナー・2 後編』で



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